やっと我が地方でも上映。
TOHOシネマズでもなく、小さな人目につかないような映画館でしたが、それが余計にリアリティーを増したようで、見終わったあとは、肩に力が入って筋肉パンパン。
「月」
監督・脚本は石井裕也さん。「舟を編む」「僕たちの家族」など名作を手がけた監督。人間の奥を探求しようとする映画が見ごたえですが、今回は奥深く、重い!!
辺見庸さん「茜色に焼かれる」の小説を原作に、実際に起きた障害者施設殺傷事件を題材にした作品。
宮沢りえさん、オダギリジョーさん夫婦が抱える葛藤、二階堂ふみさんの現実と夢との苦悩、そして磯村優斗さん演じる「さとくん」が働く施設での現実
映画の冒頭に「声を使えない一部の障害者は<声>をあげることができない。ゆえに障害者施設では、深刻な<問題>が隠蔽されているケースがある」という文言が出ます。
~~~ここからネタバレ注意です~~~~~~~~
最初は分かって罪(利用者にキツイ言葉や鍵をかけるなど)を犯しているけど、それを罪だと思えなくなってしまっている。
体制(人員不足、重労働、低賃金、知識不足、施設長も黙認・・)などもありますが、もっと心の深層まで掘らないと永遠に分からない課題を突き付けられました。
「さと君」も最初は絵本の読み聞かせをしたり、先輩にいじられても利用者さん目線を持っていたのですが、、、
心の引き出しがいつの間にかいっぱいになって、糞尿にまみれた利用者さんを初めて見たときに、心が固まって、自分を投影することで身を守ったんだなと私は思いました。
実際に起こった事件のことは覚えています。自分は犯人のことを「過激派気質のサイコパス」で大麻でさらに頭がおかしくなった人と捉えてましたが、施設で働く真面目な青年だったと見方を変えました。
そしたら、怖くなりました。
人は不快なものを避けようとします。ここでの不快は施設の重度障害者です。意思疎通が取れず、寝たきり、しゃべれない、、、
自分の範疇で収まらないものを、見ないようにしているのではないかと、私は思いました。
利用者さんには、なんの否もない。
だから苦しいのです。罪悪感ではなく、心優しい人ほど、向き合うことが怖いのかと思いました。イドがあらわになるほど、エゴのバランスが取れなくなり、暴力や暴言など虐待として表出するのかと。
書いていてもなかなか終わりがないけど、冒頭の「隠蔽」は事実を隠す意味と、自身の心も隠すことにつながるのかなと思いました。
さら~っと介護やお世話ができるロボットのような人間はいません。何かしら思うことはあるはず。そこが極端に出てしまったのかなと思いました。
最後に、演ずる磯村優斗さんの演技の飄々としたふるまい、孤独、排除を正義と信じて笑みさえ浮かべる異常さは、ゾクッとしました。
もちろん宮沢りえさん、オダギリジョーさんの演技も見入りました。自分を信じる強い意志もあるけど、逆にほんのちょっと踏み外すとガタガタと転げ落ちそうなくらいの限界を生きている感じ、良い出来事があると嫌なことも吹っ飛ぶくらい嬉しい。
頑張って生きるとはそんなことなんだ。
それが人間なんだなと思いました。
心はどの生物もあるんじゃないかなと私は思いました。